ショパンとチェコとの一番の接点は、首都のプラハ市内からバスで2時間半のところにある温泉保養地「マリアーンスケー・ラーズニェ」(ドイツ名は「マリーエンバート」)でしょう。「マリアーンスケー・ラーズニェ」は、温泉町として森に囲まれた静かな環境に恵まれたところで、リストやワーグナー、ゲーテら著名人も多数ここを訪れてリフレッシュを図っています。
ショパンは、ここでワルシャワ時代に親交のあったポーランド人貴族の娘マリアの一家とともに過ごしたことがあり、その当時住んでいた家が「ショパン記念館」として今も残されています。
ショパンは、その後マリアに求婚し、受け入れられたもののマリアが16歳と若かかったことやショパンの健康状態が悪かったことなどから、延期を余儀なくされ、結局は結ばれることはありませんでした。
「二度にわたる大戦から、破壊をくぐりぬけ、町並みや文化遺産を守った国」といえます。
「チェコ」の「プラハ歴史地区」は、ゴシック様式の塔を持つ教会、ルネサンス様式の宮殿など、あらゆる建築様式が共存する、中世の面影を残す見ごたえのあるところです。ヨーロッパでは各地で多くの戦争があったにもかかわらず、どうしてチェコでは古い町並み、古い建築様式の建物の多くが残っているのでしょうか?
それは、この地を治めた王が、戦争を嫌い摩擦をさけたためです。ほとんど無傷の状態で残ったからこそ、これらは歴史文化遺産として注目されるようになり、チェコの財産として大きな光を放ち、観光面などで多くの人を引き付けるようになったのです。
古い様式の教会が残るチェコ
プラハ観光の魅力は壮大な古代様式の建物など古い歴史文化遺産の見て歩きと頻繁に開かれているコンサートの鑑賞でしょう。その中でも、観光の定番は「プラハ城」から「カレル橋」を渡って「旧市街広場」へと行く、歴史的地区を見て歩く散策です。
① 「プラハ城」
プラハ城は、丘の上に堂々と立つチェコのシンボルにふさわしい建物です。9世紀後半から建設が始まり、14世紀に現在ほぼみられるような形になったということです。城のエリアには教会をはじめ、宮殿、庭園などがあり、丸一日で全部を見ることができないほどです。
(城内を見学した後、ゆるやかな石段をしばらく下りて行きますと、通りの両側にはさまざまなお土産店がずらりと建ち並び、ショッピングが楽しめます。少し先に脚をのばすと、やがて「カレル橋」に到着です。)
② 「カレル橋」
「カレル橋」はヴルタヴァ川(ドイツ名・モルダウ川)にかかる、城と旧市街地を結ぶ長さ516m、幅9.5mのゴシック様式の石橋です。この橋の見どころは、橋の欄干の両側にそれぞれ15基、合わせて30基の彫刻「聖像」が取り付けられていることです。橋は、歩行者天国になっていて、風景画や写真、アクセサリなどを売るお店が橋の両側に並び、楽器演奏などのストリートパフォーマンスも見られ、ヨーロッパの国々で見られるような楽しい光景が広がります。
橋を渡りきった旧市街地側のたもとには、プラハ城をバックに記念写真が撮影できるスポットがあり、観光で訪れたさ まざまな国の観光客が入れ替わりで写真を撮影していました。
また、「橋と川」の状況を高いところから眺めることのできる橋塔(有料)があり、橋塔の屋上から川と橋を眺めるこ とができます。しかし、写真撮影は橋塔の中が狭いことなどからちょうど良いアングルを取るのに一苦労しました。
(私たちが、訪ねた時、このカレル橋は、工事中でゆっくり時間をかけてみることはできませんでした。私たちは旧市街の 中心旧市街広場へと足を進めました。)
③ 「旧市街広場」
「旧市街広場」に通じる道路は、まるで迷路のように何本も道路が入り組んで付けられていますので、間違いやすいです 。しかし周辺は、それほど広くないので、やがて見つけることができました。旧市街広場に入りますと、中央にチェコの
英雄的存在であった人の大きな銅像が立ち、そこから周囲を見渡しますと様々な古代様式の大きな教会などの建物が広場 を囲むように堂々と立っています。花屋さんなども広く敷地を使い、多くの種類の花を展示していました。
旧市街でも、特に人気になっているのは、広場近くにある「旧市庁舎」です。1階は「インフォメーションセンター」 。エレベーターで昇る、高さ69mの屋上からは、旧市街地の町並みを見ることができました。またこの建物の外には、15 世紀に作られたという「天文時計」があります。この時計は、毎正時に鐘の音に合わせて、キリストの12の使徒の像が現 れ、回りだすことから、鐘が鳴る時間に合わせて、天文時計の前にはこれを見ようという多くの観光客の人だかりができ ていました。
④ 「チェコが生んだ2人の作曲家の博物館も」
チェコは、交響詩「わが祖国(全6曲からなりその2曲目はモルダウ)」などを作曲した「スメタナ」、と「新世界より」などを作曲した「ドヴォルザーク」の2人の作曲家を輩出しています。2人の生い立ちや功績をしのぶ博物館も行ってみる価値があります。
▽「デパート」や「スーパー」
「通常ユーロ」を使ってショッピングができます。
VISAなどクレジットカードの利用、免税の手続きもOK!
▽「小さな商店」
①「ユーロ」が使える店もありますが「通常チェココルナ」を使用しなければなりません。
(あらかじめユーロが使えるかどうか調べておく必要あり、円からの換金率が悪いという話も聞いているので・・・日本で換金していくのがベスト)
②「免税手続きができない店もある」
高価な民芸品を買おうとする時、免税手続きが出来ない店も多く、あらかじめ免税手続きが可能かどうかを確かめる必要があります。
▽「旧市街地の商店の中に日本人店員がいる店もあり安心」
チェコの特産・ボヘミアングラスなど売る店では、日本人店員を雇用している店もあり、買い物の際、安心できる。こうした情報は、地元のホテルや日本国内で販売している旅行雑誌などで、事前に情報収集できる。初めての地で不安な気持ちが交差する中で、日本人がいると聞くと、何かホッとした余裕がわいてくる。あらかじめ調べておくとストレスが少なくなり大変良かった。この旅では、実際にお店に行き、店員として働いている日本人女店員さんに面会することもできた。
▽「商品に“値段の表示”がない店は、チョッと注意!」
特に買う機会が多いもの・・・ボトル入りの水ではないでしょうか?
ヨーロッパでは、水道水が飲料水として適していませんので、水を自分で必要な量は買わなければいけません。この値段は、商店によって値段が違うことがよくあります。どうしてこんなに値段が違うのかショックを受けた人を多く見かけました。空港内でも、隣の店同士で値段が違うことが多く、私自身もちょっぴりがっかりさせられる経験をしました。
失敗しないためには、ボトルの水は、何CC入で、どのくらいの値段がするのかあらかじめ調べておく必要があります。スーパーマーケットで購入することをおススメします。
▽「付加価値税(消費税)を導入」
日本では、付加価値税(消費税)の「率がすべての商品が一律(今の時点では8%)です。しかしチェコでは、商品によって、消費税が違い軽減税率が適用されています。品物を買った際渡されたレシートで税率が確認できます。
▽「トイレの利用」
チェコやポーランドでは、一般のトイレは有料です。
一般のトイレの利用は、トイレの入れ口付近に、おばさんがいて、ここでお金を徴収しています。小銭を用意しておかなければいけません。私は、観光ルートの通りの一般トイレを利用してみましたが、中は比較的綺麗で不愉快さを感じませんでした。
旅行中の「すり・おきびき」の対策は、荷物をしっかり身につけていることが大切です。美味しい料理などに熱中して食事をするときも、荷物に紐を結びつけるなど、その状態がしっかり相手に見えるようにして、すきを与えないことです。犯人は、客が体のどこからお金を出しているか、沢山持っていそうか良く注意して見ていて、ターゲットを絞っていきます。こうした犯罪者は、よそ行きのきちんとした服装をしているほか、子どもを連れて家族のように装っているもの、飲食店で食事をしている人たちのところに、子どもに両替をさせているケースもあり(この場合両替に応じてはいけない、相手は金の出し入れの場所をチェックしている)相手の動きに応じないなどの注意が必要です。
また、かわいい子どもがいたからと言って、写真などを取ると、後から言いがかりをつけられるケースもあるということです。
ホテルでは、朝食や外出などで部屋を空けることがたびたびあります。
プラハ郊外の保養地「マリアーンスケー・ラーズニェ」で宿泊したホテルでの出来事。我々の旅行仲間の1人が朝食に出かけている数十分の間に、部屋に置いていた現金が盗難にあった。部屋の鍵は、しっかりとかけて食事にいったという。短い時間でも、掃除のスタッフが部屋に入ってくることもありうるので、部屋を空ける時は、貴重品を持っていくか、スーツケースに入れてしっかりと鍵をかけ、現金など貴重品を見えるところに置かないようするなど注意が必要です。
■「公園のトイレで若者3人組に囲まれる!」
▽「その状況」
この体験は、チェコの宿泊地のひとつ温泉保養地・「マリアーンスケー・ラーズニェ」にある公園のトイレでのことでした。私は小用をすませようと1人で公園内のトイレに入った。当時、周辺には人影がなかったので安心していたが小用が終わりそうになった頃、きちっと閉めたはずのドアが外から少し開けられた。振り向くと、男がこちらをのぞいているのが分かった。
一瞬やばい・・・と思ったがどうすることもできない。対策を考えたが・・・頭の中は空虚・・・いい知恵も浮ぶはずもない!仕方なくゆっくりと小用をすませ、荷物などをしっかりと抱え、胸を大きく張り、自分を出来るだけ大きく見せられるようにして・・・思い切ってドアを開けた。
驚いたことに、そこには予想もしない、若者(イケメン)3人が立っていて、出ていく道をふさがれた形になった。覚悟をしてさらに前へ進もうとしたところ・・・仲間のリーダーらしき男が目配りをし、囲みがとかれたので、急がずあわてず、その場を速やかに離れることができ、事なきを得た。
それにしても、ここは見知らぬ土地。「一瞬、私はどうなるのでしょうというか?」という現実に直面し、「これが囲まれるということか」と冷や汗をかきました。
▽「どうして狙わなかったかを振り返る!」
問題の公園は、ケーブルカーに乗って上がる冬はスキー場としても使われている小高い丘の公園で、彼らがどうして私を狙わなかったか、いろいろ考えてみました。私の腕にはめていた時計は記念品としてもらった非売品で、「ローレックス」といった、高価なものでないことから、私を襲うのを断念したとみられる。
私がケーブルカーで上がった公園で、時計を見ながら帰りの時間をチェックしていた際、リーダーらしき男は私がどんな時計をしていたかを見ていたのではないかと思われる。リーダーの男は、私の顔を見知っていて、表面上金になるような高価なものを持っていないと判断、あっさり止めたのではないかと思われる。
外国旅行の際は、「高級なものを身につけていくな!」「バックはしっかりと身に着けて、紐(ストラップ)などで結んでおけ!」「後ろのポケットには高価なものを入れるな!」といったアドバイスを守ったのが今回悔しい思いをしないですだとことにつながったのではないかと改めて思いました。(気を取り直して次のポーランドへ向かいました。)
ポーランドはショパンの生誕地ということで、生家をはじめ、洗礼を受けた教会など今も多くの施設が残されていています。
▽「ショパン関係の主な見学場所“生家”周辺」
生家は、首都ワルシャワからバスで1時間ほどのところにある、広い公園を備えた緑豊かな閑静な場所にあり、ショパンの暮らしぶりなどが残されているほか、作曲に使われた古いピアノも数台展示されていました。
ここでは、世界各国からやってくるピアニストによる、ショパンが作曲した曲の「ピアノのライブコンサート」が聞けます。コンサートの演奏者は、交代でコンサートを行っています。私たちが訪ねた日は、ドイツからやってきた女性ピアニストが数曲を演奏してくれました。日本からも、ピアニスト2名がここへやってきて、演奏したという記録が残されていました。
ショパンの生誕地は、観光で訪れる日本人も多いらしく、現地のお土産屋さんの近くには、土産品を宣伝する日本語の横断幕がみられ、ちょっぴり驚かされました。
▽「ショパン関係の見学場所(ワルシャワ市内)」
①「ショパン博物館」
ショパンの人となりや活動の様子などを、沢山の写真・画などの資料が展示されているほか、作曲に使用された古いピアノも保存されています。
②「ワジェンキ公園」
ワジェンキ公園にはショパン像があります。周囲は、当時バラが綺麗でした。観光客ばかりでなく、地元の小学生なども、公園を訪れており、市民の憩いの場としても親しまれています。
ワジェンキ公園ショパンの像
「ショパンの心臓」をおさめている教会で、建物の内部・左側の柱にプレートが取り付けられています。
①「戦火による破壊から復元されたワルシャワの町並み」
ポーランドは、13世紀に、現在のワルシャワの旧市街地に城が立てられ、その後首都が南部のクラクフからワルシャワに移されると急速に発展を遂げていきました。しかし、たびたび戦火に見舞われ、特に1939年にはナチス・ドイツの進撃のために人々が迫害されたうえ、旧市街地の貴重な建物など町並みは80パーセント以上が破壊されてしまいました。その後、その町並みは、復興を願う市民の手によって、過去の設計図や写真などをもとに、かつてあったのとほとんど変わらないような状態で、修復されました。この旧市街地の街並みは、
ワルシャワ歴史地区として世界文化遺産に登録されています。
旧市街地では、「旧市街地広場」を訪ねてみました。広場に入りますと、
カラフルな建物が周囲を取り囲み、中央にポーランドのシンボル「人魚像」が設置され、周囲にはレストランやカフェ、土産店などが取り囲んで、多くの観光客で賑わっていました。
②「アウシュビッツ強制収容所 見学」
アウシュビッツ強制収容所は、ポーランドの首都ワルシャワの南にある。1940年にナチス・ドイツによってつくられたもので、世界中の人々約150万人が犠牲になったと言われていて、人類の過ちを忘れさせないために、今は博物館として公開しています。大量虐殺が行われた、その悲惨な実態をこの目に焼き付けておくために、旅の仲間とは離れた行動をとって、収容所を訪ねました。
▽「そこで見たもの・・・」
収容所内部の説明は、ドイツ語、フランス語、英語・スペイン語などのガイドコースがありますが、日本語のガイドコースがないため、英語のコースの女性ガイドの案内で収容所の中を見て回りました。英語のコースには、私を含め、韓国、中国の人々をはじめヨーロッパの人たちなど約30人が参加していました。
収容所のゲート前では、多くの見学者が行き来して、観光地のような明るい雰囲気でした。
収容所は広さ約20ha、有志鉄線を張り巡らされたフェンスに囲まれるように、囚人を収容する28の建物があります。
ガイドの説明を聞きながら、「働けば自由になる」という響きのよいスローガンがかかげられたゲートから中に入りますと、その状況は一変、最初の部屋では、収容所内の実態を明らかにするため、犠牲となった人々の遺品をはじめ劣悪な環境に置かれていた人々の生活の様子を物語る写真・資料などが展示されていました。
淡々とガイドが説明する中、見学者の気持ちは次第に暗くなっていきます。犠牲になった人たちの靴がプラスチックの大きな容器の中に(小さな子どもから大人まで)重なるように保存されており、特に小さな靴を見て小さな子どもまでもが戦争という中での異常な行為の犠牲になったことを物語っていました。また、犠牲になった人々の「髪の毛」(多くの国々の子どもから大人まで)も同じように大量に保存されていました。そのほか、大量虐殺に使われた毒薬の空き缶も無残に積み重ねられていました。
大量虐殺に使用された毒薬の空き缶
こうした状況を見ただけで、私は、胸をひどく痛めました。私は日本に戻った今も、収容所での山のように積まれた靴や髪の毛、毒薬の空き缶を思い出します。世界のリーダーたちは、さまざまな戦争によって引き起こされた悲惨さを見学するなどして、異常な戦争の結末を深く理解し、お互いの国が挑発行動をするのではなく、平和を求め仲良くして、悲惨な戦争を繰り返さないよう努力を重ねていく必要のあることを強く感じました。
▽「収容所へ行くには・・・」
収容所へ行くには、国鉄の列車(PKP・IC=インターシティを利用)と国鉄バス(PKS)を乗り継ぎ、丸1日かかることを覚悟しなければならない。
まず、通貨ポーランドズロチ(1ズロチは約38円)で乗車券を購入。
国鉄「ワルシャワ中央駅」から列車に乗り、南部の都市「クラクフ駅」で下車。
(*クラクフはかつてポーランドの首都)
同じ駅構内の「バスの乗車券売り場」でチケットを買い、「アウシュビッツ行き」に乗り、現地へ。
▽「列車・バスなどの乗車の際の注意!」
① 国鉄に乗る際は、列車の車両番号を間違わないことが大事です。車両番号を間違えて乗っていることが摘発されると、罰金を取られることがあります。あらかじめ国鉄に乗るときには事前に調べておくことが肝心です。帰りの列車の車内では、中国人旅行者が車両を間違えたらしく、車掌とのトラブルになっていました。中国人旅行者は、はじめ大声でわめいていましたが女性車掌に乗車券の間違えを厳しく指摘され、規則だとして、しっかりと罰金を徴収されました。
② アウシュビッツでは、バス乗り場の確認を怠るな!
アウシュビッツでは、バスの停留所が下車するところと、乗車するところが、違っていました。アウシュビッツに到着したら、運転手から帰りのバス乗り場を確認しておくことも、時間のロスを防止できます。
③ 乗り物利用の際は、VISAなどのクレジットカードの利用をおススメ。(お金の出し入れは、狙われやすいので、カードの利用を。)
ポーランドのグルメは、日本人にとって抵抗がなく食べられるものが多い。下記に食べた主なグルメを紹介します。
・「グジボヴァ」(ポーランド名物キノコスープ)
・「ジェレク」(ライ麦を使ったあっさりスープ)
・「ピエロギ」・・・ポーランド風ギョウザ(日本の餃子に似た料理)
・「コトレット・スハボヴィ」(豚肉を平べったく伸ばし油で揚げたもの。
我々のワルシャワでのホテルは、国鉄のワルシャワ中央駅に近いところにありました。このホテルのすぐ近くには、コンビニエンスストアが1軒ありました。パンやサンドイッチ、飲み物、飲料水などを売っており、帰りが遅かった日に、利用してみました。味の方はまずまずといったところですが日本人との胃袋の違いか、1個当たりの量は、さすがに多かったです。
民芸品店の中には、免税手続きができない店がある。
ポーランドの首都・ワルシャワ市内の中心部で、民芸品を買おうと、旅行雑誌で紹介されていたお店を訪ねた。その土地の民芸品が店頭に数多く並んでいたが、店番はおばさんが一人。買い物を決めて免税の手続きができるかどうか聞項としたところ言葉が通じず、出来るのかどうかわからない状態。いったん店を出て、この店の近くで休んでいた若い女性に英語で事情を話し、店の人に聞いてもらった結果、免税の手続きが出来ないことが分かった。
日本の旅行雑誌で紹介しているお店でのことでしたのでがっかりしました。
今回の旅では、見ず知らずのポーランドに足を踏み入れ、国鉄の列車とバスを乗り継いで、戦争の悲惨さを物語るナチス・ドイツの強制収容所「アウシュビッツ」に行けました。これは今後の旅に大いに役立つような気が強くしています。学生時代に習った片言の英会話を使い、地図を頼りに、分からないことは早めに人に聞くという私の性格が大変役立ちました。
従って、チェコでもポーランドでも、目的地巡りをするには、大きなリスクは、感じませんでした。
▽「1人旅で一番の課題は、飛行機の乗り継ぎか」
今回チェコへは、成田空港をたち、ドイツのミュンヘン空港で乗り継ぎプラハ空港に着きました。またポーランドへは、プラハ空港からドイツのフランクフルト空港で乗り継ぎワルシャワ空港に着きました。さらに日本への帰りの便では、ワルシャワから、ドイツのミュンヘン空港で乗り継ぎ成田空港に着きました。3回の乗り継ぎを経験しました。
こうした乗り継ぎの際は、時間的余裕があれば、大丈夫ですが、時間がないとき、時間が変更された時、搭乗口が航空会社の都合で変わった時、スーツケースの受け取り、次の便に積み込みを行わなければならない時など、スーツケースがどの場所に到着するかをチェックするなど絶えず神経質に注意していなければなりません。日本のように、航空会社の係員が絶えず気を配るなど親切であればよいのですが、外国では、何かを質問するにしても、広い空港内で、係員の姿を見つけるのが大変な時もあります。今回の旅行の際も、時間の変更、それに伴う搭乗口の変更があり、皆と一緒でしたので安心感がありましたが、1人旅で、大事な情報を見逃した場合などを考えますと、乗り継ぎは旅の強敵、ストレスになると感じました。したがってこうしたことが、クリアできれば、1人ぼっちで気ままな旅が楽しめるように思います。
▽「1人旅での必要用件は・・・」
① 乗り物・観光などについて分からないことがあれば早めに係員を見つけて聞く。(空港及びインフォメーションセンター・ホテルなどで)
② 列車やバスの乗り方をあらかじめ認識し、罰金を取られないようにする。
③ 行動する際は、荷物は、しっかりと手元に置き、ストラップ(切れづらく有効)などを使ってしっかり体とつないでおく。
④ いわゆるブランド物の時計は、持っていかないほうがいい。どうしても持っていきたいなら、相手から見えないところで、時間などを確認する。
⑤ エレベーターに乗るときは、特に多くの団体の人たちと一緒に乗る。子ども連れで狙っている犯罪グループもいるので、エレベーター付近で数人がたむろしている連中には、特に、注意が必要です。(犯罪グループは、「無料の観光施設」での行動が活発で、メンバーをよく見ていると、ろくろく景色を見ていないうえ、一般に人たちが写真を撮るところではカメラを持っていても人の動きばかりを見ているなど、絶えず周囲をきょろきょろしているので、気が付きます。