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 ”小野篁”について 

   小野篁には、「地獄」の閻魔大王が執り行う裁判を補佐していたとされる奇怪な伝説など多くの伝説が残されていますが実在の人物です。どんな経歴の人だったのか、伝説とはどのようなことか、伝説が残る舞台、小野篁のゆかりの寺・京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を紹介しつつ、お伝えしたいと思います。
  (下記の文章は、様々な文献、各研究者の考察、寺の案内書など、すべての記述も含めて参考に書かせていただきました。)

  1.小野篁はどのような人だったか?

    宮廷につかえた官僚だった

  小野篁は、平安京に遷都して間もなくの、平安時代初期の西暦802年の生まれ。嵯峨天皇などに仕えた官僚で、「皇太子の教師」を務めたのをはじめとして、唐の国に派遣される使節団・遣唐使のナンバー2の「副使」、今の司法長官に当たる、刑事事件の訴訟などを取り扱う刑部省の「刑部大輔」を経て、さらに国の行政機関を統括する「太政官」の「参議(閣僚級の職)」まで上り詰めた実在の人物です。852年、51歳で病死しています。


     小野篁の立像(京都・六道珍皇寺)

    小野篁の性格や振る舞い

  篁の伝説のエピソードを語っている「今昔物語」や「江談抄」などによりますと、篁は、感情の起伏が激しく、自信家で自分が正しいことは何でも通したという頑固な性格からか、遣唐副使に選ばれた際は大使(上司)ともめごとを起こし、嵯峨天皇(当時は嵯峨上皇)の怒りにふれ、隠岐の島に流刑になりましたが2年後に、仁明天皇に才能を見込まれて刑を許され、復帰しました。

    歌人として知られる

  小野篁は、体が大柄で武芸にも優れていたうえ、学者、歌人としても知られています。

  このうち歌人としては、隠岐の島に流刑される際に詠んだ歌が、小倉百人一首の11番に選ばれているほどです。
   (詠んだ歌は・・・下記)

 「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 

                     人には告げよ 海人の釣舟」

(瀬戸内海の島々を巡り、遠く離れた流刑の地・隠岐の島へ向けて出発しました。漁民たちよ、都にいる愛しい人々にこの事実を伝えてください)

  2.小野篁にまつわる伝説とは・・・

     伝説というのは、小野篁が地獄の閻魔王庁の役人をしており、日中は朝廷に出仕し、夜は地獄の悪魔王庁に勤めていたというものです。

    伝説を伝える記述

  「江談抄」、「今昔物語」、「元亨釈書」などによりますと、小野篁が、夜は閻魔王庁で亡くなった人を地獄行きにするかどうかを決める裁判の補佐をしていたと記されていることから、こうした伝説が今に語り伝えられてきたものとされています。

    どのようにし地獄に通ったか。

  その舞台となっているのが篁とゆかりの深い寺・六道珍皇寺(京都・東山区)です。寺の本堂の背後には庭園があり、そこには井戸があります。この井戸は「冥土通いの井戸」と言い、この井戸を使って地獄(冥土)へ通ったとされています。
一方、地獄から帰るのに使った井戸・「黄泉(よみ)がえりの井戸」も2011年に、寺に隣接する旧境内地から見つかっています。


      「小野篁卿旧跡」(六道珍皇寺)

   「冥土通いの井戸」を知らせる標識

      「冥土通いの井戸」(中央奥)

    篁が地獄の審判をしていたという証言

  臨死の状態からよみがえった平安貴族たちが、閻魔大王の傍らに篁が立ち、「このものは正直でよい人物だ」などと閻魔大王へ進言してくれ、冥土から生還できたと証言しているというものです。

    篁にどうしてこのような伝説が生まれたのか?

  これについては、多くの研究者などから、様々な考察が出されています。

  それをまとめてみますと、小野篁は・・・

▲背が高く大男であったこと

▲反骨精神が旺盛で激情に駆られる性格だったこと

▲自信家で、自分が正しいと思ったことは何でも通したということ

▲刑罰を所管する刑部省の刑部大輔などを務めたこと

・・・など性格や経歴など様々な状況から奇怪な伝説が生まれたのではないかと言われていますが・・・真相は「謎」です。

  3. 伝説の寺・「六道珍皇寺」


    冥土への入口・出口のあるお寺

この寺は、平安京のころ、東の墓所があった鳥辺野(とりべの)に通じる道筋に当たります。人の世の無常とはかなさを感じる場所、つまり冥土への通路の入口・出口」がこの寺にあるのです。寺の朱塗り門前にはそれを知らせる「六道の辻」という石碑が設置されていて、毎年お盆に帰ってくる精霊も必ずここを通るとされました。


  冥土への入口・出口と「六道の辻」の石碑

    寺の閻魔堂には・・・

また、境内にある閻魔堂には、小野篁にまつわる伝説に登場する、「閻魔大王座像(木造)」、「小野篁の立像(木造)」がそれぞれ祀られています。


        「閻魔堂」(六道珍皇寺)

         「閻魔大王 座像」

このほか寺の境内には、冥土にも響くという、亡き人を呼びよせる梵鐘(迎え鐘)もあり、毎年、お盆には多くの参拝者が鐘をついて亡き人を迎え入れます。


   「迎え鐘」(中央の綱を引くいて鳴らす)

 

*小野篁という、実在の人物で、奇怪な伝説を持つ人物について、興味のある方は、是非、六道珍皇寺を訪れてみてください。

寺の住所・・・京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595



   


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