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 ”四国八十八ヶ所”お遍路の旅   「愛媛県」 

   「お遍路の旅、札所40番から65番の愛媛県(伊予の国)は「菩提(ぼだい)の道場」と位置付けられています。寺の数は4県で最い26か所。あらゆる煩悩を断ち切り、菩提の域に達するための場ともいわれています。札所の近くには、道後温泉などの観光地も多いところです。                                                       各寺の名をクリックしてください!

   
40観自在寺 41 龍光寺 42 仏木寺  43明石寺 44 大寶寺  45 岩屋寺  46浄瑠璃寺  47 八坂寺  48 西林寺 49 浄土寺
50 繁多寺  51 石手寺  52太山寺  53 円明寺  54 延命寺  55 南光坊  56 泰山寺  57 栄福寺  58 仙遊寺  59 国分寺 
60 横峰寺  61 香園寺   62宝寿寺  63 吉祥寺  64 前神寺  65 三角寺         

■第六十二番札所 宝寿寺(ほうじゅじ)   

            ☆洪水や戦火で移転や再建繰り返すも、安産祈願の観音札所として信仰集める☆

   61番札所の香園寺から国道11号線を1㎞余り歩いた先に在るのが宝寿寺です。寺の歴史をたどると、天平年間(729749)に聖武天皇の命で諸国に一の宮を造営した際、伊予にも一の宮神社が建立され、その別当として創建したのが寺のはじめとされています。当時、寺名は「金剛宝寺」と呼び、現在地ではなく中山川下流の地にあったと伝えられています。

             宝寿寺

   弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(80610)で、寺に留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。
また、この頃国司だった越智氏の夫人が難産で苦しんでいたさい、大師が本尊に祈願したところ、夫人は男子を無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。

              本堂
   以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅したが、寛永13年(1636年)に寺だけを現在地付近に移されて再興された。その後延宝7年(1679年)に洪水を避けるために今度は神社が寺の横に移転された。

             大師堂

   時を経て、明治初頭の廃仏毀釈によって寺は神社と分離され、一時廃寺となったが、明治
10年(1877年)に神社の隣に移して再興され、大正10年(1921年)には予讃線鉄道工事にともない、その南側の現在地に移転した。境内には、本尊と同じく「十一面観音像」が地元の人たちによって奉納され、安産成就にご利益があるとして信仰を集めています。

           十一面観音像                                     

◇アクセス情報                                           
所在地  〒799-1101 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428                 
電話   0898-72-2210                                          
駐車場  大型車(2台)                                        
宿坊   なし                                               
公式HP  なし

 




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