40観自在寺 | 41 龍光寺 | 42 仏木寺 | 43明石寺 | 44 大寶寺 | 45 岩屋寺 | 46浄瑠璃寺 | 47 八坂寺 | 48 西林寺 | 49 浄土寺 |
50 繁多寺 | 51 石手寺 | 52太山寺 | 53 円明寺 | 54 延命寺 | 55 南光坊 | 56 泰山寺 | 57 栄福寺 | 58 仙遊寺 | 59 国分寺 |
60 横峰寺 | 61 香園寺 | 62宝寿寺 | 63 吉祥寺 | 64 前神寺 | 65 三角寺 |
☆家族の結びつきなどに幸せを授け、人々を優しく迎え入れてくれる☆
寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。ここに架かる橋を渡り、数段の石段を下り、“入母屋造り”の山門をくぐると手入れされた見事に庭園がひろがり、そこには静寂な世界が待っていた。遍路旅では石段を登って境内に入るのが普通ですが、西林寺のように、石段を下って境内に入るのはまれなケースです。
山門
さて、寺の由来は、聖武天皇(在位724〜49)の命により、天平13年(741)、僧・行基菩薩が伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
本堂
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し続けています。
大師堂
江戸・寛永年間(1624〜44に)、火災で堂塔を焼失したがその後、藩などの協力もあり、本堂と鐘楼堂、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興。現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。境内には、一つの願いを聞き入れてくれる「福授地蔵」、それに母子のきずなを深める「孝行竹」などがあり、成就祈願で訪れる人が多くいます。
鐘楼
また、「寺宝」として、宝暦13年(1763)の刊行の(『四國偏禮繪圖』は、最古の四国遍路絵図として貴重です。このほか『四国霊場記』(明治24年・1891刊)も貴重資料として残されています。
◇アクセス情報
所在地 〒791-1111 愛媛県松山市高井町1007
電話 089-975-0319
駐車場 あり(無料)
宿坊 なし
公式HP なし