40観自在寺 | 41 龍光寺 | 42 仏木寺 | 43明石寺 | 44 大寶寺 | 45 岩屋寺 | 46浄瑠璃寺 | 47 八坂寺 | 48 西林寺 | 49 浄土寺 |
50 繁多寺 | 51 石手寺 | 52太山寺 | 53 円明寺 | 54 延命寺 | 55 南光坊 | 56 泰山寺 | 57 栄福寺 | 58 仙遊寺 | 59 国分寺 |
60 横峰寺 | 61 香園寺 | 62宝寿寺 | 63 吉祥寺 | 64 前神寺 | 65 三角寺 |
☆洪水や戦火で移転や再建繰り返すも、安産祈願の観音札所として信仰集める☆
61番札所の香園寺から国道11号線を1㎞余り歩いた先に在るのが宝寿寺です。寺の歴史をたどると、天平年間(729~749)に聖武天皇の命で諸国に一の宮を造営した際、伊予にも一の宮神社が建立され、その別当として創建したのが寺のはじめとされています。当時、寺名は「金剛宝寺」と呼び、現在地ではなく中山川下流の地にあったと伝えられています。
宝寿寺
弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806~10)で、寺に留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。
また、この頃国司だった越智氏の夫人が難産で苦しんでいたさい、大師が本尊に祈願したところ、夫人は男子を無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。
本堂
以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅したが、寛永13年(1636年)に寺だけを現在地付近に移されて再興された。その後延宝7年(1679年)に洪水を避けるために今度は神社が寺の横に移転された。
大師堂
時を経て、明治初頭の廃仏毀釈によって寺は神社と分離され、一時廃寺となったが、明治10年(1877年)に神社の隣に移して再興され、大正10年(1921年)には予讃線鉄道工事にともない、その南側の現在地に移転した。境内には、本尊と同じく「十一面観音像」が地元の人たちによって奉納され、安産成就にご利益があるとして信仰を集めています。
十一面観音像
◇アクセス情報
所在地 〒799-1101 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
電話 0898-72-2210
駐車場 大型車(2台)
宿坊 なし
公式HP なし