40観自在寺 | 41 龍光寺 | 42 仏木寺 | 43明石寺 | 44 大寶寺 | 45 岩屋寺 | 46浄瑠璃寺 | 47 八坂寺 | 48 西林寺 | 49 浄土寺 |
50 繁多寺 | 51 石手寺 | 52太山寺 | 53 円明寺 | 54 延命寺 | 55 南光坊 | 56 泰山寺 | 57 栄福寺 | 58 仙遊寺 | 59 国分寺 |
60 横峰寺 | 61 香園寺 | 62宝寿寺 | 63 吉祥寺 | 64 前神寺 | 65 三角寺 |
☆境内に新しさ目立つ建物、四度にわたり戦火に見舞われ悲運な歴史☆
今治市内にある6ヶ所の札所の最後は、数ある国分寺の中の伊予の国分寺です。58番札所の仙遊寺から遍路道の山道や田園地帯などを通ってたどり着きました。この地域は、かつて伊予の国府があり、伊予文化発祥の地ともいえるところで、当時の国分寺はいまの寺から150mほど東にありました。
境内への参道
その場所からは、東塔跡とみられる遺跡から13個の巨大な礎石が見つかり、その礎石の配置等から高さ60mほどの七重塔があったと推測され、豪壮な七堂伽藍を構えた当時の寺の様子が目に映るようです。
境内への入れ口
国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅願により僧・行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられています。弘法大師はここに長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められています。
本堂
こうした中で、国分寺は、四度にわたる兵火に見舞われ、悲運な災禍の歴史をたどります。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」、次に、元暦元年(1184)に「源平合戦」、南北朝時代の貞治3年(1364)には「讃岐・細川頼之の戦い」、さらに4度目となる安土桃山時代の長宗我部元親の「天正の兵火」と度重なる罹災によって、堂塔を焼失しています。
大師堂
相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には、国分寺の現状を「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」と記されています。戦火を逃れ寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が残されています。戦火で痛めつけられた国分寺の本格的な復興は江戸時代後期からでした。このため、こじんまりとした境内で見受けられる御堂などは比較的新しい建物が多くなっています。
「握手修行大師」(右側の像)↑
境内には、握手すると一度だけお願い事を叶えてくれるという、愛嬌のある顔立ちの「握手修行大師」像が設置されています。
◇アクセス情報
所在地 〒799-1533 愛媛県今治市国分4-1-33
電話 0898-48-0533
駐車場 あり
宿坊 なし
公式HP なし