40観自在寺 | 41 龍光寺 | 42 仏木寺 | 43明石寺 | 44 大寶寺 | 45 岩屋寺 | 46浄瑠璃寺 | 47 八坂寺 | 48 西林寺 | 49 浄土寺 |
50 繁多寺 | 51 石手寺 | 52太山寺 | 53 円明寺 | 54 延命寺 | 55 南光坊 | 56 泰山寺 | 57 栄福寺 | 58 仙遊寺 | 59 国分寺 |
60 横峰寺 | 61 香園寺 | 62宝寿寺 | 63 吉祥寺 | 64 前神寺 | 65 三角寺 |
☆街中に溶け込むように立ち、江戸時代初期から「遍路」の名で巡礼が行われた証が見つかった寺☆
人家に囲まれた街並みにあり、行き交う人の声が聞こえる、街中にこけこむように立っているのが円明寺。山門を入り、さらに中門をくぐっていくと、正面に本堂が見えてきます。
山門
寺の歴史を見てみますと、天平勝宝元年(749)、聖武天皇の命により、僧・行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。
のちに、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移され、寛永13年(1636)には寺号も現在のように改められた。 この寺には、四国霊場最古の銅板納札が保存されていることで知られている。
大師堂
これの発見者は、シカゴ大学のスタール博士で、大正13年3月、四国遍路の途中、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけたものです。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製です。この納札の奉納者は、樋口平人家次という人で、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことで知られています。この納札には、初めて「遍路」の文字が記されていて、霊場をたどる巡礼の旅が江戸時代初期から始まっていたという証になるとして注目されています。
本堂
また寺の本堂右上の鴨居にほどこされ「竜の彫り物」があり、彫刻職人・左甚五郎の作品だということです。このほか、寺の一角には聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠が設置されており、隠れキリシタンが信仰したものと推測されています。
境内の様子
◇アクセス情報
所在地 〒799-2656 愛媛県松山市和気町1-182
電話 089-978-1129
駐車場 あり(無料)
宿坊 なし
公式HP なし